Suzuki, N. (2019). Needs Analysis for Developing a Theme-Based Language Unit for Students at the National Institute of Technology 早稲田大学大学院教育学研究科紀要別冊, 26(2), 163–178.

本研究は、高専生が専門科目の授業でどのような英語使用場面が求められているのかを調査した論文。研究課題は以下の通り。

(1)高専生が専門科目でどのようなタスクを英語で行う必要があるか
(2)教師や高専生はそれらのタスクを行うことについてどのように思っているか
(3)英語の授業で行われるべきトピックにはどのようなものがあると教師や高専生は認識しているか
(4)本研究のニーズ分析を踏まえてどのようなテーマベースの単元が提案可能か

このうち、(1)〜(3)について考察。

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ドミニク・ローホー(2016).『シンプルに生きる:人生の本物の安らぎを味わう』講談社+α文庫.

あまり公言したことはないのだが、ミニマリストに関連する本が好きで、色々と集めて読んでいる。本書もその1つ。ドミニク・ローホー (2010).『シンプルに生きる−変哲のないものに喜びをみつけ、味わう』幻冬舎を読んだのはもう大分前のお話だが、文庫版が出ていたことを最近知ったので何気なく購入。

本書は、タイトル通り、シンプルに生きるためのアドバイスが、考え方、スタイル、住まい、健康やフィットネス、お金、時間といった観点から書かれている。内容は盛り沢山であり、この文章を書いている今も、内容をメモしたファイルを何度も見返している。アドバイスは一貫しているものの見返すたびに新たな発見がある。特に気に入っているアドバイスには以下のものがある。

  • お金は気を抜いていると失われてしまうエネルギーであり、お金の浪費は自分のだらしなさの代償である
  • 美しくあるためには、常に中立を貫き、静観し、物事との関わりに一線を引くこと
  • 幸せは現実を自分自身がどのように解釈するかによるものである
  • 自分が本当に好きなものだけを所有するようにすること。妥協してものを選ぶと、自分もその程度の人間になる etc.

改めてメモを見返すと、シンプルに生きるということはとても難易度が高いことが分かる。シンプルに生きるためには、不必要なものにかける浪費を削ったり、不要不急の用事にかける時間を削ったりするなど、自制心が要求されるものである。また、○○をしたい、人に褒められたい・認められたいといった感情や、色々なものを際限なく買ってしまうといった、人間の欲求も自制する必要がある。

それでもシンプル主義に惹かれるのは、処理しなければいけないことが少なくなることで、心に溜まっている「もやもや」がスッキリする気がするからだろう。考えごとや問題が減れば減るほど、心穏やかに毎日を過ごせる気がするのは私だけではないはずである。また、本書でも述べられているが、物は増えれば増えるほど、その物に意識をもっていかれることも増えるだろう。そしてやっかいなことに、所有物を増やすことは、短期的に心が満たされるということはあっても、その満足感は長くは続かず、結局のところ本当の意味で満たされることはないのである。人間の他の欲求も同様で、短期的に満たされることはあっても長期的に満たされるということはそう多くない気がする。反対に、考えなければいけないこと、どうでもいいもの、様々な欲求を手放すことでこそ平穏が訪れる、というのが、私が解釈した「シンプル主義」である。

そんなシンプル主義を説いた本書だが、内容は多岐にわたっており、一読して本書の内容を網羅的に理解し実践することは容易ではない。むしろ、何度も読み込むことで、読むたびに新しい発見をもたらしてくれそうな本である。ミニマリストに関心があるならば、様々な観点からミニマリスト的な考え方を包括的に扱っているので、読後の満足感も大きいものだと思われる。

雑然としていると何となく気持ちが悪いのは、精神面も環境面も同じである。紙と鉛筆を用意し、適宜メモをとりながら本書を読みつつ、こうやってアウトプットしながら思考をまとめていくのにちょうどよい本かもしれない。読み終わった後は、再度メモを見返し、自分ができそうなところからシンプル主義を実践していくとよさそうである。

山本多津也 (2019).『読書会入門 人が本で交わる場所』幻冬舎新書.

Twitterで流れてきて何となく手にとったけれども、結果として読書会っていいなあと思わされたよい本だった。

著者は「猫町倶楽部」という日本最大規模の読書会を主催されている方。地方に住んでいると、こういった会に参加できる機会が限られてしまうのだが、大規模読書会がどのような体制で運営されているのかには興味があった。本書によると、筆者が開催している読書会では、事前に指定された課題図書を読んでくることになっている。そして、読書会では、読んできた本について自分の考えを話して共有する。この際に、他者の考えや意見を否定しないことが唯一のルールとなっている。課題本は主催者である山本氏によって選定されている。選書の基準は、古典や名著から選書するようにしていること、一人で読むには中々ハードルが高そうな本であることが挙げられている。このような読書会を通して、多面的なものの見方を養い、曖昧さを抱え続けること耐性を身につけること、自分の考えを客観視できること、アウトプットの機会をもつことで、インプットの理解が深まることなどが効用として挙げられた。

この読書会が面白いと感じさせるのは、読書会の中の「遊び」の部分である。実際、本書の第4章は「読書は遊べる」というタイトルになっている。この読書会では、(本のイメージに合わせて、ということだと思うが)ドレスコードを設定し、ベストドレッサー賞を決めたり、読書会にゲストを招いたり、その後にダンスを行ったりと、実際に本を読むこと以外の「楽しみ」の要素を取り入れている。研究関連の勉強会では、このような「遊び」がある会というのはほとんど見られない(自分も「遊び」があるタイプの人間ではない)が、よく考えてみれば、中身が濃いディスカッション等ができても、生真面目さだけでは息が詰まってしまう。ましてや、中身があろうがなかろうが、無駄な「権威」を振りかざすような会では、学びもほとんどないだろうし、何のために会を開催しているのか分からなくなる。フラットな関係で適度な遊びがあることで、楽しんで会を主催したり参加したりできるというのは、自明のことのようで中々実践は難しいものである。

実際、「猫町倶楽部」の主催者もこの点を強く意識しているのは第5章「読書会は居場所になる」を読むとよく分かる。筆者は読書会を一つのコミュニティとして運営する際に、自分がやりたくないことはやらないこと、読書会のメンバーにヒエラルキーを作らないこと、参加者を囲い込まないこと、考えの違う人を排除しないことなどを意識しているとのことである。また、読書会の主催は尊敬される必要がなく、初めて参加する人も常連の人も同じように居心地のよい場所を提供することを意識しているとのことである。

アカデミックな研究だと、論文を一緒に読んだりすることがある。ジャーナルクラブと呼ばれることもあるようである。

思えば、学生の頃のゼミでは、こういった読書会が行えていたんじゃないか。ゼミでは、少人数だったこともあり、学生と教員という関係を感じさせず、フラットな立場で議論に付き合っていただいていた。今となってはとても充実した時間だったと感じる。今だったら実践者による研究(practitioner reserach)やタスクに関する読書会、ジャーナルクラブをやってみたいと思う。自分が文献を定期的に読む機会が増えそうだし、人と研究についてディスカッションができる場面も増えそう。しかしながら、当面は、いろいろな仕事をこなしつつ、ブログやEvernoteなどのメモソフトにまとめて、「一人読書会」となりそうである。